360万パワー

1977年生まれ

”何もの”かになろうという努力

将棋の羽生善治九段は、 努力して達成出来るのなら全員がそうしている。しかし実際は努力だけではなかなか達成出来ず、その前で諦める人が多い。だから諦めずに続けることが才能だ。 みたいな事を話していたと思う。 これに即して考えると、”何ものにもなれなかった”というのは努力をしなかったわけではなく、続けられなかった。 恐らく、多くの人の実情では限られたリソースを”何ものかになろう”という努力ではなく、現実に即したものに方向転換したと言えるだろう。 つまり、努力をしても達成出来るのかわからないものを目標とするのではなく、努力に応じて達成出来るものを目標に変えた。 過去を振り返り反省がないものなどいない。努力が足りなかったと言われれば、頷くしかない。 ただ、なりたかった”何もの”をどこまで具体的に考えていたのか疑問を持つのはおかしくない。 具体的ではないから、”何もの”に留まっている。 具体的な”何もの”が定まれば、いつでも成れるだろう。 ”資源ごみを毎回必ず捨てられるもの”それくらいで十分に他とは違うのだから。

フルサイズミラーレスでソニーがこの先生きのこるには

ソニーに遅れること数年、ニコンキヤノンがフルサイズのミラーレスを発売することが確実になりました。 先行するソニーがこのまま逃げ切ることが出来るのでしょうか?私はそれは難しいと考えています。というのは、ソニーのEマウントが不利だから。

ニコンが発表したZ6とZ7というフルサイズミラーレスの標準ズーム、NIKKOR Z 24-70mm f/4 Sの撮影サンプルは(衝撃的に)素晴らしく、ソニーの標準ズームと比較するのは酷なくらいに思えます。またキヤノンは28-70mm f/2.0というシグマみたいな標準ズームを用意しているそうです。 ニコンにしろキヤノンにしろ、マウント径が大きいからこそ出来るのでしょう。かつてFマウントでフルサイズは無理、Fマウントでフルサイズが出来たけどレンズ設計で不利と言われたのと同様にフルサイズミラーレスにおいてソニーのEVマウントは径が小さく不利になりそうです。

ソニーの勝機

キヤノンニコンのフルサイズミラーレスに対するソニーの勝機はサードパーティ製レンズです。 ソニーキヤノンニコンのフルサイズミラーレスに対応した交換レンズをシグマやタムロンが発売する場合、レンズ設計においてソニーEマウントがボトルネックになります。後発のキヤノンニコンはマウントの強みを活かせません。 キヤノンニコンの純正レンズがソニー純正レンズよりも優れていても、純正よりも廉価なシグマやタムロンが選ばれるのであればソニーはマウントの不利を気にする必要はありません。ボディにだけ注力すればいいだけです。

キヤノンニコンの勝機

逆にキヤノンニコンソニーのEマウントでは絶対に作れないレンズを出せばいいわけです。それがf/2.0通しの標準ズームでnoct銘のf/0.95でしょう。両社、Eマウントに対するレンズ設計で優位にあることをアピールしているのは明らかです。 こういったレンズを時々出してソニーさんはどうなの?と顔色を伺うだけでソニーの体力を少しずつ削り、それで十分かもしれません。 とはいえ、そんなレンズは高価になるのでバカ売れするわけではありません。キヤノンニコンは廉価でありながら優れたレンズを、NIKKOR Z 24-70mm f/4 Sのようなレンズちょくちょく用意する必要はあるでしょう。

キャスティングボートはシグマにあるのかもしれない

シグマは純正レンズ並かそれ以上の性能を純正よりも廉価に提供することを目指していると思われます。一眼レフ用では可能であったかもしれませんがフルサイズミラーレスにおいてはEマウントでも使えるレンズでキヤノンニコン純正を超えるものを開発するのは(ニコンの標準ズームを見る限り)難しいかもしれません。

その場合、シグマがどういった選択をするのかがソニーに大きく影響するでしょう。シグマの選択というのは、有利なキヤノンニコンのフルサイズミラーレス向けレンズとEマウント向けレンズを別設計にするかどうかです。Eマウント向けにはミラーレス専用設計ではなく一眼レフ用を使い回す可能性はあるのかどうか。

シグマがフルサイズミラーレス用にキヤノンニコンの純正を超えるレンズを開発しようとしたら、Eマウントへどう対応するのか注目です。

スマホのカメラで撮ったものをなんて呼べばいいのか問題

日本なら写メと呼んでいいような気がします。写メールの写メでしたが、今ではメールにしなくても、(自己申告で)SNSに使わなくても写メと呼んで違和感がありませんし、写メでいいような気がしますし、写真という言葉を譲り従来の写真が別の言葉を求めてもいいのかもしれません。

何の話かというと、ベンダースのこのインタビューが元です。

www.bbc.com

iphone-mania.jp

ベンダースは映画監督で奥様が写真家で、ベンダース自身も写真展を行ったり写真集を出したりしています。尾道を撮ったりしていますが、ベンダースの写真自体は案外普通です。

かつて…

かつて…

このインタビューではスマホのカメラで撮影したものを写真ではない何か別の呼称が必要、みたいな話をしています。写真は訳語であり、この辺が日本語ではより複雑というか面倒というか、もしかしたら単純になるかもしれません。

photography

photographyの訳語の一つに光画というものもありました。恐らくこの訳語はダゲレオタイプに使われたもので、それより以前のカメラオブスキュラには写真という言葉が当てられました。 ざっくり言うと、カメラオブスキュラというのは投影する装置で、投影した映像ではありません。ダゲレオタイプというのは投影した映像を化学反応で固定化したものです。 もしかしたら、カメラを写真と呼び、撮影したものを光画と呼んでいた(訳語として使い分けていた)時期があったかもしれません。

photographyの訳語に「写真」の他にはかつて「光画」がありました。そして日本では「写真」という訳語はふさわしくない、みたいな議論が細く長く続いています。写真という言葉は真実を写す、みたいに思わせるからふさわしくない、光で描くから「光画」がふさわしい(写真よりまし)、みたいな内容です。スマホ以前、デジカメ以前からフィルムで撮影したものを意図的に加工(強調)することはできたし、ドキュメンタリー風のディレクテッドな写真(ざっくり言えばやらせ)もあり、真実を写しているわけではない後ろめたさか、「写真」よりも「光画」がふさわしい、というわけです。

なので、日本においては従来からの写真を写真と呼ぶのは止めて(スマホで撮影したものに譲り)光画と呼ぶのもいいのかもしれません。

まとめ(本題)

適当なことを書きましたが、ベンダースはスマホで撮ったものを写真と呼びたくない、とかではなくて、撮ったけれど時間が経てから見直すこともなく通り過ぎることの方を気にしているような気がします。

今でこそクラウドに写真を保存出来ますが、(今でもクラウドに保存することもない人もいますが)ちょっと前は友人の結婚式で撮った写真ですら機種変の度に写真が消えてなくなることを受け入れる人がいます。

24時間で消えるInstagramのストーリーなども受け入れられています。そういったものと、残すために撮影したものとを同列に扱うのはベンダースが言うように違うように思えます。

電子書籍がいまだに「本」と呼ばれないように、別の呼称があるべきという意見は当然かもしれません。