360万パワー

1977年生まれ

値下げしたらもっと見に行く!という人を客だとは思っていない

eiga.com TOHOシネマズが100円値下げと話題です。

かつてTOHOシネマズは試しに大人一律1500円に値下げをしたことがあります。

www.cinematoday.jp

最近の映画館はそれぞれ独自の割引サービスがありますが、1800円を1500円に値下げするかわりに割引サービスは全部なしに。 その結果は客が減りました。 上の記事にもありますが、アンケートを行い1500円なら見に行く回数が増える!とか答えている人が沢山いたから試したわけですが、なのに客は減るという。Twitterやらなんやら見ていても1500円にしたら見に行くのに、なんて書いている人が沢山いますが彼らは口だけというのをTOHOシネマズは自らの実験で知っています。 それを知っているのはTOHOシネマズだけではなく、曜日限定、時間限定、会員限定などの割引の方が客を増やす効果があるので他のシネコンでも様々な割引サービスを行っています。 お得感を演出した方が売上が伸びるというのは映画に限ったことでもありませんし。

www.eiren.org

ここを見ると平成30年の平均入場料は1315円。 学生、子供料金も含めている数字と思われますが、それでも随分低いと感じるのではないかと思います。 ちなみに平均入場料はシネコンが増え始めてから安くなり、シネコンばっかりになってからは横ばいです。つまり、シネコンの割引サービスを利用する人が平均入場料を押し下げたと考えられます。

そんなわけで、恐らく、TOHOシネマズは割引サービスの種類を増やすか、適用範囲を広げるなどでお得感を演出し、TOHOシネマズ単体の平均入場料も横ばいになるのではないかと考えています。

要するに、値上げしたからもう見に行かない!なんて人は最初から客の意見だなんて思われていません。だって客じゃないから。

会田誠が問題ではない

会田誠のニュース、会田誠ばかり槍玉に挙げられていますが、訴えた女性は鷹野隆大の講義もきつかったようです。

件の公開講座は全五回で3回目が会田誠で5回目が鷹野隆大だったようです。

藝術学舎 | 京都造形芸術大学がおくる社会人のための公開講座

3回目できつかったのに5回目までちゃんと行くのか、とか思わなくもないのですが、それは批判として筋が悪いでしょう。

ところで、会田誠ばかりが矢面に立たたされますが、勃起した男性の写真というのは5回目の鷹野隆大のようです。 鷹野隆大愛知県美術館での展示がわいせつ物にあたると県警から警告を受けて作品に布を被せたことが、はてブのホットエントリーに入っていた記憶があります。 togetter.com

それでも会田誠知名度に比べると鷹野隆大の方はどうも落ちるようで、ネットでの反応を見るとだいぶ勘違いがあります。 ameni1952.hatenadiary.com

ホットエントリー入りしているこのブログなんてそうで、男性器の写真を見せたのは会田誠だと考えているように読めます。

それは会田誠の日頃の行いだとすることにして、色々記事を読むと訴えた女性の主張では 3回目に行われた会田誠の講義に対して大学側に文句を言ったけれど、5回目の鷹野隆大の講義でまた気分が悪くなった、それで大学側の配慮が足りなく心的外傷を負った、だから訴えた 、と読めます。

3回目は予習不足だったとしても5回目で追い打ちをかけられたのは大学が悪い、という主張だと私は捉えました。つまり、会田誠が問題だという主張ではないと。大学側を訴えていることを考えても、会田誠を問題をどうのこうのしたいのではないのでしょう。

3回目の会田誠ではなく、5回目の鷹野隆大でフラッシュバックしたという主張に思えます。

ただ、5回目の講師である鷹野隆大は、問題の写真を見せる前にそういう写真だから見たくない方がいるかどうか確認したと、いくつかの記事に書いてありました。 news.livedoor.com

大学側から鷹野隆大に対して見せる前に確認して欲しいと要請があったのかわかりませんが、事前に確認したことを考えると大学側の配慮がなかったとは考えにくいかなぁと私は考えます。

鷹野隆大愛知県美術館の件もあり、(会田誠とは違い)配慮することに敏感になっているような気がしますし、今回のことで萎縮しないか心配です。それを写さない、見せないというのはテーマに対して矛盾するような気がするから。

鷹野隆大の写真がきつかったという主張であったら、恐らくここまで意見は分かれなかったでしょう。鷹野隆大と比べると会田誠は叩きやすい対象になっているように見えます。

ところで、今回は会田誠ばかり名前が挙がっていますが、最新の芸術新潮でもさらっと会田誠がいじられていて、そういう星の下に生まれたのだなぁと思わずにいられません。

芸術新潮 2019年 03 月号

芸術新潮 2019年 03 月号

”何もの”かになろうという努力

将棋の羽生善治九段は、 努力して達成出来るのなら全員がそうしている。しかし実際は努力だけではなかなか達成出来ず、その前で諦める人が多い。だから諦めずに続けることが才能だ。 みたいな事を話していたと思う。 これに即して考えると、”何ものにもなれなかった”というのは努力をしなかったわけではなく、続けられなかった。 恐らく、多くの人の実情では限られたリソースを”何ものかになろう”という努力ではなく、現実に即したものに方向転換したと言えるだろう。 つまり、努力をしても達成出来るのかわからないものを目標とするのではなく、努力に応じて達成出来るものを目標に変えた。 過去を振り返り反省がないものなどいない。努力が足りなかったと言われれば、頷くしかない。 ただ、なりたかった”何もの”をどこまで具体的に考えていたのか疑問を持つのはおかしくない。 具体的ではないから、”何もの”に留まっている。 具体的な”何もの”が定まれば、いつでも成れるだろう。 ”資源ごみを毎回必ず捨てられるもの”それくらいで十分に他とは違うのだから。