360万パワー

1977年生まれ

オリンピックのロゴは国民が理解できなかった事が問題なら、理解されるまで要素を分解する必要がある

東京オリンピックのロゴをやり直すということで色々ありますが、そうなったからには、もっといいロゴになったらいいと思います。

ついでにオリンピックも返上しろ!みたいなブコメも見られますが、どうしてそこまで偏屈というか、頑固というか、後ろ向きというか、つまらない事を考えるのかわかりません。せっかくの機会なのに、って思います。

さて、私は次のロゴは大竹伸朗に「トーキョー」と書いてもらったらいいのではないかと考えています。撤回したロゴは展開力が決め手だったそうですが、大竹伸朗ならアから ンまで、数字もばっちり展開できるでしょう。しかも、佐野氏が提案したものよりもずっと読みやすいものになるはずです。

しかし、問題があります。それは選考方法です。

ニコ生で今日の会見を見ていましたが、もう一度公募するのが最適だと考えているそうです。質疑応答では次点だったもの、招致に使ったロゴに対しては消極的という感じでした。公募資格も、明言していませんが、前回と同じでいいんじゃね?みたいな印象でした。その辺は責任転嫁というか、組織委員会は徹底的に責任は負わない、という印象を会見を見た方は持ったのではないかと思います。

で、前回と同じ応募資格の場合、私が推す大竹伸朗はその資格がたぶんない。なので「トーキョー」というロゴは誕生しないでしょう。

大竹伸朗も駄目なら草間彌生すらたぶん応募資格がありません。私にも応募させろ!とはいいませんが、もうちょっとデザイン以外にも間口を広げてもいいのでは?

応募資格のハードルをデザイン関係だけに絞って、デザイン関係者だけで選んだ事が今回の問題を悪い方へ悪い方へ進んだんじゃないかなぁと多くの人が感じたと思うので、前回と同じ方式で公募というのはまずいでしょう。

会見では再三「国民の理解」を連呼したのだから、次は「国民の理解」が得られる方法で選考するしかありません。でなければ、また「国民の理解」という見えない壁に突き当たります。

選考段階で候補を公表すると先に商標登録される可能性があるから、選考はクローズドで行われるという話でしたが、商標登録後でもいいからハッキリと見せるようなやり方もあるでしょう。

他にやり方はあるはずで、そういうところを組織委員会がちゃんとやって、梯子を外すなという事です。

それでも、どうしても駄目なら愛子さまに書いてもらったらいいと思います。

大竹伸朗 全景 1955-2006

大竹伸朗 全景 1955-2006