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360万パワー

1977年生まれ

祖父は戦争中に冷凍みかんを食べていたらしい

NHKの番組で給糧艦の間宮をやったそうです。 艦これの間宮が甘味処のネタが本当に甘味処だったとは知らなかったし、戦時中に甘い物を作る船があったことに驚きましたが、そういうこともあったんだろうなぁという気はします。 というのも、私の祖父は軍に入ってから毎日冷凍みかんを食べていたと話すからです。

90過ぎの祖父に話しを聞こうにも、聞いていることはほとんど話さずに話したいことだけを話すので、いまいち概要がつかめませんが、軍に配属されてからは冷凍みかんを食べて、泳いで、船に荷物を積んでいた、というような牧歌的な内容で、太平洋戦争からイメージするのとはだいぶ違います。 祖父が軍に入ったのは昭和19年の終わり頃のはずなので、終戦まで1年もない頃です。そんな時に冷凍みかんを食べていたとは信じられませんが、食べていたと話すので毎日食べたのかはともかく、食べていたのでしょう。

一方で父方の一番上の兄は冷凍みかんの祖父と同じくらいの年齢だと思いますが、シベリアに抑留されて帰ってきました。私が小さいころに亡くなったのでよくわかりませんが、シベリアの事については全く話さなかったそうです。こちらの方はイメージする悲惨な状況だったのだと思います。

牧歌的な話しをする祖父は軍隊に入る際の健康診断で初めて片耳が全く聞こえないことを知ったというくらい、とぼけたというか鈍感というか、そういう人です。祖父が言うには、子供の頃から片耳が聞こえないから、それが当たり前だと思っていたそうです。

片耳が聞こえないせいでしょう、戦地に派遣されることなく四国で船に荷物を積んでいたそうです。船に荷物を積んでいたと話していたので、てっきり海軍かと思ったら陸軍に所属していたそうです。 祖父が積んでいた船というのは、まるゆでした。艦これをやっているので間宮もまるゆも名前を知っていましたが、祖父がまるゆと関係していたとは。

日本中にちらばった細かな話をかき集めたら、どこそこの泊地には誰がいて、どんなことが起きたのか、果たして祖父は本当に冷凍みかんを食べていたのか、色々な事がわかりそうですが、そこまで確かめたいという気も起きず。生きているうちに話したことは記録に残してはいるけれど。水木しげるが亡くなったので、長生きの祖父もそろそろかと思うとあれだけど。