360万パワー

1977年生まれ

学校でインターナショナルを聞かされていた

学校で政治的に偏向した行動が起きていないか自民党が投稿を求めた件について、自分も密告をしたいと思います。密告というのは穏やかではありませんが、それを密告と表現している記事が沢山あるので密告としました。

kabumatome.doorblog.jp

私の密告は小学校3年の頃、インターナショナルをかされました。

インターナショナルというのは知らない方が多いと思いますが、いわゆる革命の歌です。

革命歌「インターナショナル」とは?

インターナショナルなんてすっかり忘れていましたが、たまたまインターナショナルを聞いて、小学校の時この曲聴かされていたなぁと思い出しました。歌詞に難しい言葉が使われているので、さすがに小3の時に歌わされることはなかったかと思いますが、それでもなんとなく覚えています。

どうしてインターナショナルだったのか、今となってはよくわかりませんがそういう環境だったのでしょう。

私は新潟県新津市というところで育ちました。現在は新潟市秋葉区となりましたが、鉄道好きの方には有名なところです。ちなみに、森ゆうこの地元でもあります。鉄道の街として栄、現在でも新津車両製作所があります。かつては国鉄の社宅が沢山あり、国鉄職員が沢山住んでいた街でもありました。国鉄職員が沢山住んでいるということは、国鉄労組も沢山住んでいて、その力が強い街だったようです。今でもその名残なのか、住宅街に共産党社民党のポスターがズラッと並ぶところがあります。最近はそこまででもありませんが、選挙になると電柱という電柱に社民党のポスターがずらっと括りつけられていることもありました。そういうところでした。

その影響が学校まで及ぶのかというと、恐らく影響はあったでしょう。私の父が高校の教員で、親が教員や公務員だとその親戚も教員や公務員というのは田舎にはありがちなことですが、親戚にも教員がおりました。その話しからすると、日教組の活動に熱心な教員はある程度一箇所に集めるそうです。教育委員会としてはバラバラで活動されるよりも固まって活動した方が都合がいいからだとか。恐らくそれは日教組の活動する教員にとっても同じでしょう。このようにして活動に熱心な教員が集められた場所が新津でした。

今はそうでもないようですが、当時は学校でのルールなどは周辺の市と比べるとかなり違いがあったそうで、引っ越してきた、引っ越した方から、そんな話しは聞きます。厳しいとか面倒とか、そんな感想です。それがいいのか悪いのかはわかりませんが、隣接する市とすら違うところでありました。

そんな環境もあり、小3の時の担任はインターナショナルを生徒に聴かせていました。その影響が今の私にあるのかないのかわかりませんが、わからないからこそ教師の偏った教育はやめなきゃいけないというのは右も左も同じではないかと思います。そういった偏りをどうやって取り除くのか、その方法として不適切なのかもしれませんが、ほっといてもいいかというとそうではないでしょう。