360万パワー

1977年生まれ

今後もノーベル賞を受賞するためにもFランが頑張れ

今年も日本人がノーベル賞を受賞したということで話題です。で、受賞の度に話題になるのが最近の研究費の事。研究費が多い方がいいのは当たり前なのですが、その額よりも問題となるのは、どの分野のどの研究室にどれだけの予算を割り当てるのか、ではないかなぁと思います。

予算をどのように分配するのか考えると、国家プロジェクト的な一点集中突破かバラマキと批判される覚悟で新し芽を育てるのか、極端に分けると2つが考えられます。どちらを選ぶのかは難しいと思います。

前者でいうと、ヒトゲノム計画の蹉跌がありました。結果論ですが、ヒトゲノム解析があと一歩というところで予算を縮小してトンビに油揚げをさらわれてしまいました。当時はそんな結果になるとは、ゆめゆめ考えもいしなかったそうです。一寸先は闇、未来のことは誰にもわかりません。

今回に限らずノーベル賞受賞理由となった論文は20年前とかざらです。それも当時そこまで評価されたものというわけでもないなんてのはよくある話。当時それを見逃さずに重点的に予算を分配するというのは無理な話です。その研究が20年後につながるのか誰にもわかりません。つまり、将来のノーベル賞クラスの研究に対してピンポイントに重点的な予算をあてることは出来ません。

出来ないということはないかもしれませんが、それはギャンブルです。研究費が将来への投資と考えるのであれば、資産運用がポートフォリオを組むように研究費の分配も一点集中というわけにはいきません。様々な分野へバラ撒く他ありません。

あと一歩なのか、まだ100歩以上あるのかは未来人にしかわかりません。そうであれば、現在は研究費をドブに捨てる覚悟で垂れ流し、芽が出て成長することをただ祈るだけです。祈るのが嫌ならば応援するくらいしか出来ません。

20年後にどんな研究がどんな成果を上げるのかは誰にもわからないからのこそ、様々な研究が必要です。結果が出なかった研究があってこそ、結果も出るといえるでしょう。そのために必要なのは、研究機関として大学を機能させることです。東大からFランまで研究機関として機能させることが出来れば、多くの芽が出て、その中から大きく育つ芽が生まれます。要するに研究は人海戦術が最適解です。

まずはFランだろうが早稲田だろうが、しっかりと論文審査を行うことが大切だと考えます。