360万パワー

1977年生まれ

ネット小説の情景描写

ネット小説で情景描写を色々と書かなくてもいいんじゃないのか?という意見に対する賛否があるようです。

ソープに行けでおなじみの北方謙三はさっぱりとした文章で情景描写はグダグダと女々しいと言わんばかりです。まるでヘミングウェイのようです。ヘミングウェイを読むと情景描写を細かく書かないのに情景を頭に思い描かせ、これこそ文章表現のように思います。

一方でグダグダと情景描写をする代表格というと、プルースト失われた時を求めてでしょうか。保坂和志もそうですが、いちいち情報が過多な文章表現に思えますが、映像に詰め込めない情報を表現することこそ文章表現の特異性にも思えます。

季節の記憶 (中公文庫)

季節の記憶 (中公文庫)

極端な例を挙げましたが文章表現の面白さの一つは実際に読んている時間と物語の時間を自由に演出出来ることにあると考えています。

ガルシア=マルケスのようにじっくりと読まざるをえない文章のおかげで時間の進行を体感できるものもあれば、サクサクと読み進める文章で疾走感を感じさせる文章もあるでしょう。

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

情景描写を省いても脚本にはなりません。もちろん脚本を元に演技した映像をそのまま文章表現にすることも出来ません。表現としてどちらが優位というのではありません。

手塚治虫トキワ荘に来た時のアドバイスを受けてトキワ荘の住人はお金を出し合いレコードプレーヤーを買い赤塚不二夫は音楽からコマ割りを学んだとどこかで読みました。音楽や映像は現実の時間の流れを避けられない表現ですが、音楽から赤塚不二夫がコマ割りを学んだというのは、どういう事だったのかよくよく考えるべきでしょう。

トキワ荘青春日記

トキワ荘青春日記