360万パワー

1977年生まれ

”何もの”かになろうという努力

将棋の羽生善治九段は、 努力して達成出来るのなら全員がそうしている。しかし実際は努力だけではなかなか達成出来ず、その前で諦める人が多い。だから諦めずに続けることが才能だ。 みたいな事を話していたと思う。 これに即して考えると、”何ものにもなれなかった”というのは努力をしなかったわけではなく、続けられなかった。 恐らく、多くの人の実情では限られたリソースを”何ものかになろう”という努力ではなく、現実に即したものに方向転換したと言えるだろう。 つまり、努力をしても達成出来るのかわからないものを目標とするのではなく、努力に応じて達成出来るものを目標に変えた。 過去を振り返り反省がないものなどいない。努力が足りなかったと言われれば、頷くしかない。 ただ、なりたかった”何もの”をどこまで具体的に考えていたのか疑問を持つのはおかしくない。 具体的ではないから、”何もの”に留まっている。 具体的な”何もの”が定まれば、いつでも成れるだろう。 ”資源ごみを毎回必ず捨てられるもの”それくらいで十分に他とは違うのだから。