360万パワー

1977年生まれ

劇場版『SHIROBAKO』の感想

劇場版『SHIROBAKO』を見ました。

色紙は安原+久乃木で大満足です。

ただ映画の内容は正直イマイチでした。

同窓会で集まったら盛り上がって何かやるか!みたいな感じの内容で、作中でドーナツ五人が成長するというより、成長した五人を見て欲しいって感じ。小ネタを入れて誤魔化されたような感じも。

五人の成長披露も見せ方にカタルシス感があるわけでもなく、せいぜい日常のなかで地味に発揮する程度に留まり、それが悪いわけではないのですが、映画の流れとはチグハグに感じました。

なによりも気になったのが杉江さんに頼んだところそれ?って思ってしまって。リビングレジェンドじゃないのかよって。

TV版は一人ひとりの成果をきっちりと見せてくれたのに、今作は作中作の出来でそれを感じられませんでした。

そこ、安原三日伝説作れたんじゃ?と思ってしまいます。

成長した五人が作中でさらに成長する、みたいな内容を期待していたので、というか前半はそういう見せ方をしていると思ったのですが、後半は急に置きにいった感じがしてチグハグ感が。

学パロみたいな感じで見たら評価は変わりそうです。

鈴木達郎の撮影について

公の場を歩いている人を撮影することは問題ない。 もし、問題があるのであれば防犯カメラは全て撤去することになる。 ただし、カメラの高さは争点になり得るが鈴木はアイレベルなのでこの点でも問題はない。 (グーグルがストリートビューを撮影し直した件を検索してください) 問題になるのは撮影の時点ではなく、発表の時点。 いわゆる肖像権を侵害するのは撮影の時点ではなく発表してから。 肖像権はパブリシティ権プライバシー権、人格権などの総称で、鈴木の場合、撮影時に嫌がらせのようにカメラを向けてその反応を撮っているため人格権の侵害は十分焦点になり得る。 一方で、鈴木はそれを表現の自由だと叫ぶことも出来る。 しかし表現の自由だとしても人格権の侵害から逃れるものではない。これは柳美里の件でも確定していると言える。 他者の権利を侵した表現であれば、相応の対応が必要になる。 擁護している者は鈴木にはその覚悟があると考えているのだろうけれど、現状で炎上後の鈴木は逃げている。 これは「仮に他者の権利を侵してでも表現がしたい」ではなく、「他者の権利を侵しているかもしれないだろうけど、どうせ裁判にはならないだろう」という態度に見える。 つまり、他者の権利については尊重せず存在しないものと考えているように思える。 炎上当初、鈴木は名前が売れてほくそ笑んでいるのかもしれないと思ったが、そうじゃない。 ストリートスナップと表現について語るだろうと予想したが、それもない。

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精神論の一言で捉えるマッチョ

何をするにも精神状態というのは大きく影響を与えると考えています。病は気からというように、パッシブなものにも影響を与えうると考えています。

4years.asahi.com

アメフト部の幹部と主務というのがどういう立場なのかわかりませんが、キャプテンみたいな感じなんだと思います。その人達が丸刈りにして気合を入れた。 これに対し”精神論w”みたいな態度はあまりにも失礼だと思います。

記事にもありますが、やれる事をやってそれでも何か出来ないかと考えた結果に対し”精神論w”では失礼です。 やれる事をやったその努力を無視して、まるで努力などなく丸刈りに全てを託したかのように読んでブコメを残すその精神は何に由来したものなのか。

メンタルは全く関係がなく体を動かすことが出来る、と言い切る自信があるからでしょうか?鬱がない世界に生きるマッチョが”精神論w”とブコメを残しているのかもしれません。

批判されるべき精神論もあると考えていますが、少なくともこの記事を読む限りでは私はそう思いません。 ただ、記事の書き方は気に入りませんが。