360万パワー

1977年生まれ

写真はダメだけどイラストなら許されるという風潮

どこそこで見かけた女の子が可愛いから絵に書いた、というのを気持ち悪いから止めろ、気持ち悪いてってなんじゃボケ、というような話があります。 これ、写真だと否定的な意見が多くなりそうな気がして、写真というのは嫌われているというか、なんというか、写真好きには肩身が狭い。

路上は古くからカメラの被写体でしたが、最近では路上での撮影が忌み嫌われていいます。そんな風潮もあり今月発売のアサヒカメラがちょうど路上スナップに関する特集をしています。巻頭グラビアも路上スナップの大家である森山大道の写真がズラッと並んでいるので立ち読みしたり図書館で見てみて欲しいと思います。

問題のイラストがイラストではなく写真の場合、否定的な意見が多いと思うのですが、路上を歩いている人をかわいいと思ってさっと撮った場合、法的に問題になるかというと、案外なりません。私有地だったり、カメラの位置が低い(スカートの中が見える)、逆にカメラの位置が高い(最近だと自撮り棒とかドローン撮影とか)、というようなケースを除けば撮影そのものが法律や条例で問題になることはないでしょう。

法的に問題ない撮影だと伝えても写真が擁護されるかというと、それでも擁護されない事の方が多いような気がします。イラストとは違い写真は肖像権が!という話になりそうです。

肖像権はパブリシティ権と人格権にわかれ、普通の人はパブリシティ権は関係ありませんので今回は無視です。肖像権のうち、人格権の方が問題になる可能性はあります。 撮影の時点では人格権は侵害されるとはいえません。人格権が侵害されるのは写真を使った時です。 ただ私が知る限りでは、写真単体で人格権の侵害が認められたというケースは日本にも、アメリカにもありません。写真と一緒の言葉が問題になったケースのみです。

そんな説明をしたところで、でもやっぱり写真はダメでしょ!って考える方が多いと思いますが、イラストだと人格権の侵害はありえないのでしょうか? イラストも写真と同じように添えられた言葉によっては人格権が損なわれている!と問題になることもあるかもしれません。場所や日時がほぼ特定できるようなケースも見かけますし、パブリックスペースではないものも見かけます。さらに性的な欲望を言葉にして添えているものになると、もし裁判になると厳しいのではないかと思います。

さて、路上で撮影された写真に戻ると、写真界隈で最近話題になったのはフィリップ・ロルカ・ディコルシアの裁判があります。望遠レンズを使って路上を歩く人にバシッと頭上からフラッシュをあててハッキリくっきりと撮影した写真について争ったものですが、撮影したフィリップ・ロルカ・ディコルシアが勝ちました。名前をググると問題になった写真がすぐに出てくると思います。

写真好きでもフィリップ・ロルカ・ディコルシアという名前はあまり聞かないかもしれませんが、結構有名な写真家です。裁判ではそれまでの活動も考慮され、争点となった撮影は芸術行為と認め、写真展での発表は表現の自由を尊重、写真家の勝利となりました。問題となった写真はいかにもディコルシアっぽいものなので、そういう点も優位だったと思います。それでは同じことを別の誰かがやっても勝てたのか、日本でも同じように勝てたのか、わかりません。特に日本では表現の自由が優先されないのでは?負けちゃうのでは?と考える方は多いように感じます。

写真とは違い、イラストはそれが誰なかをはっきりと特定しにくいので似ている人全員の人格権が侵害される、被害者の人数が増えるとも考えられなくもないと思うのですが、それでもやっぱり写真はダメでイラストなら許容されるのでしょう。今回のアサヒカメラの特集も、読んだら写真を撮るやつは傲慢な考えをしている!と思う方は少なからず出てくると思うのです。そう感じるくらいには写真は肩身の狭い思いをしています。

写真と同じようにイラストも呪われろ、といいたいのではなくて、一緒にくっついた言葉がダメなものもあるんじゃないかということです。そして、写真と比べるとイラストには言葉が添えられている事が多いようなので、注意すべきではないかと思うのです。

そして、写真はどうしたらイラストのように許されるのかと悩むのです。

アサヒカメラ 2015年 11 月号 [雑誌]

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