360万パワー

1977年生まれ

写真初心者がコントストを目指してはいけない理由

この春に廃止される駅での撮影問題。

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唯一の利用者である女子高生を被写体としているので、撮り鉄とは別ではないかなぁと思います。ただ、私は撮り鉄の事はさっぱりわからないし理解できないので、撮り鉄の犯行ではないと断言できません。

想像ですが、問題視される方々がここで撮りたい写真がどういったものかというと、郷愁を思い浮かべるような、そんな写真でしょう。 そういった写真をどうして撮りたいのかというと、コンテストに入選したいからです。

写真はコンテストが異常に多い

趣味としての写真を始める方に珍しくないのが定年退職後の趣味を持つため。そういった方々に多い目標がコンテスト入選です。写真を扱うコンテストは非常に多く、絵画・彫刻・工芸・書に関するコンテストを合計したものよりも写真だけのコンテストの方が多く、入選者も圧倒的でしょう。

あまたある写真コンテストですが、入選の傾向と対策みたいなのはある程度決まっています。その一つが郷愁とか哀愁です。

具体的に写真コンテストにありがちなのが”祭りの世話役”です。恐らく、年に100点くらいはこのテーマで入選しています。お祭りに行くと一生懸命写真を撮っている方を見かけると思いますが、これが理由です。

”祭りの世話役”以外にありがちなのは滝行とか寒中修行系、ヌード、外国、あたりがあります。コンテストによっては外国で撮った写真はあえて避けることがありますが、外国への撮影ツアーは未だに人気があります。

入選=いい写真、という価値観

コンテスト入選を目指す方の多くは、いい写真=入選する写真、だと信じています。なので、入選する写真と同じような写真を撮りたい、自分も同じような状況で写真を撮りたい、同じような状況なら入選出来る、自分にもいい写真が撮れる、という循環が生まれています。

いい写真とはどんな写真なのか、言語化出来ないことに問題もありますが、入選こそがいい写真だと信じて疑わない事がこのような問題を生んでいると考えています。こういった問題を生む原因の一つはコンテストで、もう一つはコンテスト入選を目指す教室の存在です。

写真教室は色々なものがありますが、写真教室の評価基準としてコンテスト入選者をどれだけ排出したかで判断する方が沢山いるのです。自分がコンテストに入選できないのは指導者が悪い!と言い出すジジババは少なくないのです。写真が好きというよりも、コンテストに入選する自分が好きなんです。

そんな状況なので、多くの写真教室はコントスト入選を目指して指導しています。

結論、コンテストが悪い

それもこれも写真コンテストが諸悪の根源です。どんな写真がいい写真なのか考えることを放棄させる写真コンテストが悪い。と思っています。

仕事ではなく趣味なら写真が上手くなくたっていいのです。自分が気にいる写真を撮れることを目指すべきです。写真コンテストの入選作なんか見なければ、いい写真の基準は自由にり縛られません。写真の楽しみはコンテストにはありません。

フォトコン2016年1月号

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