政治的に正しくない写真
写真に残り続ける権利関係
撮影時に合意を得て撮影した写真のその後の取り扱いについてですが、使用の度に許諾を得るのが一般的だと思います。一度許可したから、その後は好き勝手に使ってはいけないということです。
写真の場合、被写体の権利を侵害していると認められるケースは肖像権はあまり関係しません。こういった問題になると肖像権という言葉を見かけますが、実際に肖像権の侵害が認められるかどうかについては結構厳しいと思います。裁判で闘うなら名誉毀損のような方向からになるかと思います。
肖像権はともかく、過去に撮った写真を好きなように使っていいかというと違うので許諾を得るわけですが、古い写真になると必ず許諾を得ているかというと、そんなことはありません。最近の写真関連の本には「使用した写真については可能なかぎり連絡がとれる方には許諾を得ているが、連絡がとれなかった方もいるので心当たりのある方はご連絡ください」みたいな事が書かれていることがあります。許諾を得ていないものを使っているわけで、権利を蔑ろにしているといえるかもしれません。
最近のはてブで見かけた中では渡辺克己の写真に関する記事
の写真も被写体側にはその後の許可はいちいちとっていないと思います。
世界的に有名なものになると、ドアノーの「市庁舎前のキス」に写っている方の子息が問題提起したことがあったかと思いますが、写真家や写真の美術的評価が認められたものに対しては被写体がに認められる権利は小さいものです。
写真というメディアのダブルスタンダード
この「声かけ写真」のように、声をかけて撮影したものを写真集などにまとめることは珍しくありません。例えばノスタルジーを感じそうな子供の「声かけ写真」で思い出すのは牛腸茂雄の「SELF AND OTHERS」です。牛腸茂雄は病気などがあり背が高くなく、そのせいか子供から人気があったといわれています。そのせいか、子供を被写体とした写真を沢山残しています。
- 作者: 牛腸茂雄
- 出版社/メーカー: 未来社
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「SELF AND OTHERS」 にも子供の写真が沢山使われていますが、Amazonのレビューを見ても子供の権利が蔑ろにされている!というようなものは今のところありません。一方でブコメでは批難だらけの今回の「声かけ写真」とは、どのように違うのかわかりません。
わからない、というのは半分ウソで、批難されている理由はわかります。一方で、何の言葉もなく写真だけがただ並んでいた時に、牛腸茂雄と「声かけ写真」で印象はそれほど違うものなのか?という疑問があり、わからないのです。写真が批難されているのか、それを扱っている人が批難されているのか、両方なのか。写真は批難されていない、とは思えないのですが、牛腸茂雄も同じように政治的に正しくないと批難されるべきなのでしょうか?最近だと梅かよも批難されるべきなのでしょうか?逆に、それっぽい政治的に正しそうな文章が「声かけ写真」に添えられていたら評価される芽はあるのでしょうか?
ところで、沢山のスターが集まるブコメに「宮崎勤もやっていた」というのがあります。これが写真ではなくアニメに関して「宮崎勤もやっていた」だと怒られます。写真とアニメでは実在・非実在の違いがあるので「宮崎勤もやっていた」 も認められるのでしょうか?
まとめ
「声かけ写真展」について擁護したいわけではありませんが、むしろインタビュー記事については軽い嫌悪感のようなものがあります。
ただ嫌悪感を感じるから認めてはいけないというのは危ないし、写真が好きなので擁護というか疑問を少し書きました。