沖縄をコンテクストとした作品の影響は漫画やアニメで広がっていないのでは?という指摘では?
元のゲンロンカフェを見ていないので、「沖縄からサブカルが生まれてない」という指摘がどういった流れで出てきたものなのかわかりませんが、 「アートは沖縄で何を見てきたか──ゲンロンカフェ沖縄出張版1:アートの夜」という題目の中で出てきたものであることを考えると、沖縄を舞台にしたアニメや漫画が存在するかどうか、という話ではないと思います。
例えば現代アートでは土地、場所を作品のコンテクストとすることがよくあります。土地をテーマにからめて作品を作るということですが、製作方法にはアーティスト・イン・レジデンス(AIR)なんていうのもあります。AIRというのはお金持ちなり自治体なりのパトロンがアーティストを招待して一定期間住まわせアーティストはその対価としてそこで作品を作る、というものです。さらに制作した作品はその場所でしか見られないような展示ということも珍しくありません。要するに現代アートでは土地や場所は個々の作品にとって重要であります。ゲンロンカフェでも沖縄という土地とアートの関係が語られたのでしょう。
現代アートと較べても土地や場所の影響が大きくなりがちな写真に関していえば、沖縄は特別な存在です。中でも有名なのは東松照明でしょう。去年、「太陽の鉛筆」という写真集の復刻版のようなものが発売されました。
新編 太陽の鉛筆 / The Pencil of the Sun: New Edition - AKAAKA
- 作者: 東松照明,伊藤俊治,今福龍太
- 出版社/メーカー: 赤々舎
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: 大型本
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元の写真集が発売されたのが1975年で沖縄返還後ですが、その前後に撮影されたものです。日本の写真は安保闘争前後から一気に盛り上がってきたという背景もあったからではないかと思いますが、「太陽の鉛筆」はその後の日本写真界に大きな影響を与えたと論じられています。実際にその後沖縄をテーマとした写真を様々な写真家が残しています。東松照明から次の世代、さらにその次の世代というように、伝播的に影響は広まっています。
写真だけでなく、映画や音楽でも沖縄という土地は非常に大きな扱いを受けていることは多くの方が感じることでしょう。そういった沖縄の影響が、アニメや漫画には同じように見られない、というのが今回の指摘だったのではないかなぁと想像します。元のゲンロンカフェを見ていないから想像しただけです。沖縄出身者によるコンテンツ制作が少ないという話ではないと思いますし、存在しないということでもないと思います。他のメディアとは違い、その影響が単発的というか、系統的に語ることができない、ということではないかと思います。
ただ、それは沖縄だけではなく、土地や場所が影響を与え続ける、他の作品に、波及することは(他のメデイアと比べ)少ないように思えます。一方で、聖地巡礼に人気があることから、消費側は土地や場所を重視している、軽く扱ってはいません。それは他のメデイアと比べ顕著でしょう。
そういった違いは研究として価値があるかもしれませんが、まとめやブコメを見る限りでは、網羅的に取り扱わない限り肯定されないのかなという感じがありますので、なかなか難しそうです。