”いい写真”を撮るために必要なのは構図か機材か愛なのか
フィルムカメラがデジタルにほぼ置き換わり、デジタルカメラはスマホに押し出され、スマホでじゃんじゃん写真を撮っている世界になりました。写真を撮るコストがほとんど0円といってもいい状況ですので、みなさん沢山の写真を撮っています。 最近は美術館の企画展でも撮影可能なブースが設けられることが珍しくない、むしろ全く撮影出来ない方が珍しいのではないかと思うくらいです。それだけ撮影できる装置を皆さんが持ち歩いているのです。 写真を撮るのはハレの日ではなく普通の日の普通の出来事です。
あまりにも写真が普通になりすぎたせいか、プリントをしてアルバムを作るわけでもなく携帯を機種変したら写真がなくなった、なんて出来事にも平気でいられたりするようです。そこまでいくとどうかとも思いますが、写真が特別ではなくなったことの証左でしょう。
さて、いい写真を撮るために必要なものはなんでしょう?かつてあった地位のようなものが無くなり特別ではなくなった現在の写真で、”いい写真”という特別を得るために必要なものは構図やテクニック、機材でしょうか?それとも愛でしょうか?
これはどうやったら特別を得られるか、その特別をどこから得るのか、で人によって必要な物が変わってくるでしょう。ブレッソンのような完璧な構図こそ特別な写真だと考えるのであれば、ブレッソンの写真集を穴が空くほど見てその構図を真似て自分のものにする必要があるでしょう。しかし、ブレッソンに並ぶ構図で撮ったところで、それが伝わるのかというと疑問です。
- 作者: Henri Cartier-Bresson
- 出版社/メーカー: Steidl
- 発売日: 2015/02/24
- メディア: ハードカバー
- この商品を含むブログを見る
撮った側に特別だとしても、見る側にとっては写真というメディアは特別なものではないのですから読み取ろう、意図を汲み取ろうと思わないかもしれません。パッと見で伝わるかもしれませんが難易度は高いでしょう。特別でなくなった写真を使って特別を感じさせるというのは非常に難しくなりました。
それでも特別な”いい写真”を撮るには、見る側にとっていかに特別な写真になるかを考える必要があるでしょう。そう考えると愛が必要だというのは一理あります。愛を伝えるというのも難しいですが、機材でなんとかするよりもずっと挑戦する価値があると思います。