360万パワー

1977年生まれ

写真と権利

良くも悪くも写真には力があるのだと考えてしまいます。

note.mu

一方の意見だけで判断すべきではないのでは?と思っています。

撮影に関する契約は現在と以前とではだいぶ変化してきていて、このnoteに書かれるようにモデルリリースという同意書、契約書を作ることは現在では海外だけではなく日本でも一般的です。

写真の場合、撮影した人にだけ著作権が認められ、著作権を含めた買い取りでなければクレジット表記がされますし、写真を使うにはお金が発生します。無断使用されたのでお金を請求した、という話題もバズりました。一方で写真に写っている側の権利は必ずしも保障されるものではりません。例えば肖像権が思いつくかもしれません。肖像権はパブリシティ権プライバシー権とありますが、この件に関してはパブリシティ権は認められないでしょう。プライバシーの方も難しいでしょう。つまり被写体の権利は弱い。せめて契約書を交わして被写体は自分の権利を主張できるようにモデルリリースを結ぶようになったのだと思います。

モデルリリースは被写体側だけでなく面倒事を避ける依頼主側も求めるので広告のような商業写真では必ず行っているはず。一方で雑誌はどうかというと、ファッション誌あたりはちゃんとしていると思いますが、アラーキーの写真がよく掲載されるアサヒカメラあたりは微妙でしょう。KaoRi.さんの写真が使われていそうなSWICHあたりはどうでしょうか。作品作成の過程はお任せという意味で出版社側は関与しない事が多いんじゃないかと思います。ただ、写真集はそういうわけにもいかないような気がするのですが。アラーキーだから求めなかった、というのであれば出版社も糾弾されるべきでしょう。

アサヒカメラはこのところしばらく写真と権利や法律に関する記事をよく掲載しているので、今回の件についても記事になるかもしれません。アサヒカメラにとってアラーキーは大きいので、ならないような気がしますがアラーキー側の主張を載せて欲しいと思います。

それではモデルリリースを交わしていれば件の問題がなかったかというとそうではないでしょう。noteを読む限りでは、問題はそこにだけあるようには思えません。 ストーカーは契約とは関係なく現れるでしょう。ストーカー対策の費用を負担する必要がアラーキーにあるのかはわかりません。私には難しいように思えますが、法律家はどう見るのでしょうか。また写真の使用期間に期限を設ける、というのも難しいかと思います。

AV強制出演が問題により、最近は契約書を交わし販売期間を区切るという取り組みがあるとか、そんな記事をどこかで見ました。しかし写真の場合、契約時に使用期間を区切るというのは難しいのではないかと思います。 過去の写真新しい写真集に再掲する場合、もう一度その事で契約をかわすというのは普通ですが、例えば、販売した個人蔵のプリントを美術館やギャラリーが借りてきて展示する、という場合は難しいのではないかなぁと思います。もちろん、使わないように要請することに問題ありませんが、受け入れられないからといって裁判でどうにかなるとは思えません。写真の外に何かしらあるならば別ですが、展示された写真だけ。本当に写真そのものだけで名誉を毀損すると認められることは難しいと思います。

まともな契約を交わしてくれない事が大元の問題、重大な問題ではありますが、契約を交わしても望むようなものにはならなかった気がします。それは承知でしょう。であれば、契約の問題とそれ以外を混ぜたことは少し卑怯かなぁとも思いますが、契約がまとまっていればこの文章を書くこともなかったかもしれないので、身から出た錆でしょうか。

正直、15年も被写体としての関係を続けなければよかったのでは?と思ってしまいます。それなりに信頼関係のようなものはあったと思いますし、そこが崩れた原因は外野には十分に知りようがないので判断しようもありません。一方だけでなく、アラーキー側の反省なり反論なり何かしらの反応がなければ判断はできませんが、いくらアラーキーといえど撮影に関する契約は行うべきでしょう。