音楽に疲れた
40目前にして、年を取ったと思う日々です。中でも最近もっとも年を感じたのが音楽。音楽を聴くのがしんどいというか、疲れる。ただ聴くだけ、というのではなくて聴きながら何か別のことをすると余計に疲れるのです。
疲れるわけではないのかもしれません。でも、音楽がない方が楽。全く音がないのも疲れるというか、気がそがれるような気がしますが、それなりにハッキリと聞こえる音楽は足を引っ張られている気がしてなりません。
しかし、これが加齢によるものなのかはわかりません。音楽CDが売れない、配信を合わせても以前のような数百万枚も売れた頃には及ばないという現在の状況を考えると、私たちの生活様式が変化して音楽を聴くと疲れるようになったのかもしれません。でも、そんな事はないでしょう。若い人は相変わらず電車の中でイヤホンをしていますし、ラジオが音楽をやめて落語や漫才をやるわけでもありません。という事は、やっぱり私の場合は加齢で音楽に疲れているのでしょう。
音楽で疲れているというと、なんだか本格的に続けてきた自分の音楽に絶望した、みたいな感じがしてカッコイイですが、そういうのではなくて適当に流して聴くことに疲れるだけです。もしかしたら音楽だけでなく、ガタゴトとなるその辺の音にも疲れるのかもしれません。実際に工事現場にずっといたら音だけで疲れると思うので、音楽というよりも刺激に対して疲れているのかもしれません。
この調子でいくと60になる頃は食べることはもちろん息をするのも疲れそうで、困ったものです。
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三宅裕司はなぜタモリになれなかったのか?
タモリが笑っていいともをやめて、タモリに近い感じの司会者が求められるとしたら、それは三宅裕司じゃないかと思っていた。趣味が広く、自分でやって自分で楽しむ感じがタモリに近いような気がするのです。笑っていいとも終了後というよりもそれ以前のタモリの仕事に三宅裕司が食い込んでいた世界もあったんじゃないかと思う。でも、この世界では三宅裕司はタモリになれなかった。
理由を考えても、あるとしたら声の聞き取りやすさくらいしか思いつかない。三宅裕司は何言っているのかよくわからない時がある。対してタモリにはそれがない。しかし、これは単純にタモリの声を聞き慣れているからだけなのかもしれない。あまりにもタモリばかり見ていた私達はタモリに最適化されすぎて三宅裕司の声が聞き取りにくくなったのかもしれない。でも聞き取りやすいからこそ四カ国後麻雀みたいなネタも上手くいくのだろう。
三宅裕司よりタモリの方が聞き取りやすいとしても、三宅裕司は過小評価ではないか。ビートたけし、明石家さんま、タモリがBIG3と呼ばれていたけど、タモリの代わりに三宅裕司が入っていた可能性はないのだろうか。三宅裕司がオールナイトニッポンで番組を持っていたら、舞台よりもテレビに力を入れていたら、腰を悪くしなかったら。
本人がタモリになろうとなんて考えていないでしょうから、私がこんなことを考える意味はなくて、ただ三宅裕司が変なことをしているところが見たいのです。
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タダで見せたいしお金を貰いたいという感情は矛盾しないけど、キングコング西野お前は駄目だ
キングコング西野絵本無料公開炎上事件、統一された呼称はいまのところないようですが、上手いこと名前を付けている方もいるのでしょう。見つけられなかったけど。
さて、同じものを無料で見れるけど有料で販売もしている、というやり方は今では珍しくありませんが、私の好きな写真界隈ではず~っと前から普通でした。ギャラリーで見るのはタダだけどプリントは数万円~数十万円なんてのは普通です。写真に限らず、ギャラリーはそういうもんです。
Twitterとは対照的にInstagramの世界的な隆盛からもわかるように写真とインターネットの相性はいいせいか、ギャラリーでタダで見られるだけでなくプリントを買うと数十万円という写真であってもネット上でタダで見せることも珍しくないし、普通です。いたって普通。全然普通。
写真界隈において、写真家がタダで見られることを嫌うなんて話は聞いたことがありません。タダでいいからとりあえず見て欲しいと考えている写真家がほとんどでしょう。これは写真に限りません。タダで見せたいという感情はクリエイターの性でしょう。
では作品を通してお金を貰いたいというのがクリエイターにあるまじき感情かというと、そんなことはありません。作品を見てもらうのはそれだけで嬉しいものですが、対価を頂くことも嬉しいものです。もちろんお金が沢山あった方が嬉しいという事もありますが、お金はわかりやすい評価です。この世界でお金ほど共有出来、信頼できる価値はありません。
で、私が考える西野絵本炎上問題は「お金の奴隷解放宣言」という言葉にあります。これが何を指すのかわかりにくい。西野本人がお金に対して自由でありたいと思わせるようで、そうではなかったり。
絵本が売れたことはイコール評価してもらった、価値を認めてもらえたと素直に表現したらいいのに、そうじゃない。ああだこうだといらない言葉を付け足す。村上隆は作品の値段が釣りあっがったのは作品に対する評価だ!と言い切るその辺が潔くて好きです。
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芸術家はエゴイスティックな人が少なくありませんが、西野もその一人なのかもしれません。ただエゴイスティックな芸術家の多くはその利己的な感情を悪びれるわけでもなく、正当化するわけでもなく、隠そうともしません。一方で西野はその辺を隠そう、正当化しようとしているようで鼻につくのかなぁと思います。恩着せがましいというか。
西野が嫌いな方は村上隆も嫌いじゃないかなぁという気がします。私は村上隆はわかりやすくて好きですが、西野はそうじゃありません。